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千差万別の舞台

 田主丸町は、東西9km、南北6kmで、面積は約50㎢です。車で15分も走れば境界を越えるような狭さ。しかし、その地形となると変化に富んでいます。
 南は耳納連山が屏風のごとく東西に長く走り、北は日本三大河の一つ「筑紫次郎」と呼ばれる筑後川が滔滔(とうとう)と流れます。そして、その間には巨瀬川を中心にした水の豊かな耕作地が広がり、開放感のある眺めは北海道を連想させます。

 そこで営まれる農業も多彩です。米麦や野菜の他にも、田主丸で全国初の栽培が始まった巨峰ぶどうや柿などの果樹園業が盛んです。庭木や街路樹などの植木苗木業は、日本三大植木生産地に数えられます。ミカンなど柑橘類の苗木生産に至っては、全国の8割を占めています。
 しかも、これら多彩な産物の農地は隣り合って交じりあい、これまた北海道を思わせるパッチワークのような景観を生み出しています。

 そのような魅力的な景観の中に、驚くほど多くの神社・寺・堂・石祠・石碑があるのです。神社だけでも、『田主丸町誌 第3巻』(平成9年発行)は、255社と記しています。

 そして、田主丸の神事・伝統行事は、山中・山麓・平地・町中・川沿いと、実にさまざまな場所で行われます。なので、それぞれの眺めや雰囲気はまさに千差万別。
 たとえば、麦生・小烏(こがらす)神社や石垣・琴平神社など、中世の山城址に建てられた山中の神社。と思えば、車が行き交う町中の道沿いにある横町・お稲荷様の石祠。雲雀川に架かる橋の欄干に立てられた田主丸・下祗園町の秋葉様の石碑、などなど。一つとして同じものはなく「そこだけ」の魅力に溢れています。

 耳納連山の山中や山麓では、古墳との関連も見逃せません。竹野・飛塚神社は古墳の上にあると推定されます。住宅地と古墳群が混在する善院地区にある加藤神社は、なんと剥き出しになった古墳の石室がそのままご神体です。石垣・山王古墳群2号墳には、入口と対峙して寛政12年(1800)の石祠が祀られていました(砂防ダム工事のため、この石祠は別の場所に移設されています)。
 これらの神社や石祠の前に立つ時、形は変わっても古墳時代の人々の心情が現在に続いているのだ、という感覚を覚えます。